四言で綴る斜な日記。毎日更新する予定でした。
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中三にして迷子というのはなかなか情けないものだ。どうしようか。
見慣れない道路。目の前には『本里』と書かれた表札。手がかりが少ないな…… そもそもどうやってここに来たんだっけ。ここへ至る道順すら覚えていない。酒の力だろうか。いや、泥酔するまでは飲んだことが無いし。でも、ここに立ち尽くしていたということはやはり何かしら……夢遊病か。それは無いだろう。今まで夢遊病である片鱗などは無かったし。 ……悠長な思考だったのだな。しかもこの呑気さはあの事に気付くまで続いたというのだからお笑い種だ。 ここに留まっていても何も進展しないだろうということを悟って、重い腰を動かそうとしていた時だった。向こうから見える人影。それはまさしくエミのものだった。誰かと話しながらこちらへ歩んでくる。助かった。 「エミ、ちょっと助けてくれるー?」 わざわざ手を振って彼女を待っていたのだが、私の姿を確認するやいなや、立ち止まって隣に居る人と談義し始めた。 誰だろうな、あの人は。エミと一緒に並んで歩くような人が思い当たらないのだけれど。 待っていても埒が明かない。さっさと道を訊いて、とっとと帰ろう。そう思い立ち、エミの元へ駆け出そうとした時、私はやっと気付いた。 天然――そう言われても仕方が無い。まさに愚の骨頂。 私の足は見事に地面を通過――通過は表現が悪いか――その後つんのめり、腹這いになった状態で、空中――地面からおよそ数センチの所へ体ごと投げ出された。 何が起こったのか、しばらくは分からなかった。当然だ。地面を蹴れば歩ける、と勝手に想像し、それがあたかも人類普遍の原理であるかのように15年間振舞ってきたのだから。私は浅学だったろうか。そうではない、そうではないと信じる。この不可思議な現象への疑問とは別に、もう一つ考えなければならないことがある。倒れるときに垣間見た、なにやら青い物……私の腕の動きに合わせるかのように、ちらちらと視界に入ってきた物。私はふと、自分の腕を見た。 青い。しかも半透明だ。それはガスバーナーの火に似ていた。存在すらうかがわしい、透き通っていて、淡く儚い青。青……青!? 私の腕が、体が、透き通っている!? 信じられない。信じられない! こんなこと、現実にあるはずが…… ……あ、夢か。 わけの分からない土地に立ち尽くしていたり、唐突にエミが現れたり、体が青く透き通っていたりしたのも、全てに合点が行くいい感じの結論じゃないか。うすうす感づいてはいたけれど、ここまで明確な虚構が出て来たのだから、もうこれは最終結論確定だ。さて、楽しむのも悪くは無いが、こんな意味不明な夢からはさっさと抜け出したいのでね。そう思い、私はほっぺをつねろうとした。 ……指に頬の感触を感じない。スカスカと、文字通り雲を掴むような感覚。まさかと思い、手をグーにして、思い切り顔に向けて振ってみた。痛みはおろか、皮膚の感覚すら無くなっている。貫通……しているのだろう、すでに右手は左耳を掴めるくらいの位置に到達している。 ストレスかな。ろくな夢を見ないし、近々エミを引き連れてカラオケにでも行こう。 とりあえず現実へは戻れないことが分かったので、この稀有な夢をエンジョイすることにする。夢なら、どうにかこうにか頑張れば立ち上がれるんじゃないか。きっとそうだろう。私は立ち上がろうとしてみた。すると、ゆっくりであったが、体が持ち上がった。そしてそのまま宙に浮かぶ。 あー、なるほど。思った通りに動くのね。なんか、TVゲームの感覚に近い。 立ち上がれてホッと一息……つく暇も無かった。何かがこっちに来る。猛ダッシュでやって来る。この人はエミと会話していた人じゃないか。しかも笑顔。満面の笑みだ。 「喰らえ! 飛び膝蹴り!」 言うが早いか、その人は空中に身を投げ出し、スニーカーの裏面を見せるようにして飛び込んできた。とっさの事だ。反応できるわけも無い。その人の靴が私の腹部をえぐる。耐え難い腹痛。私の体は後ろの方へ投げ出され、空中でゆっくりと静止した。 「どこが飛び膝蹴り!? ただの飛び蹴りじゃないの!」 反射的に口から出たが、ツッコむ所はそこじゃない。むしろ言及すべきはこの痛みだ。夢……じゃないのか。夢であるはずなのだ。夢じゃないと、私が困る! 「やっぱハルじゃねえか! ま、どんな姿でもお前はお前だな」 「ハル……やっぱりハルなんだね!」 どの辺でこの二人はそう判断したのだろうか。 「ハル!」 エミは何かしら機会があるとすぐに私に抱きつこうとする。私は若干の心構えをして、エミを待った。私の元へ駆け寄るエミ。溢れんばかりの美麗な微笑を顔に宿しながら近づき、私を抱擁しようと、手を伸ばした。エミの手は空を切り、重力に流されるまま私の足元に倒れた。うつ伏せになっているエミは、なにやら悲しい声で呟く。 「さわれないよぉ……」 私が一番ビックリだ! 飛び蹴りはきちんとヒットしたのに、なんでエミの腕は通って行くんだ!? 目眩がする。吐き気もするな。ああ、訳が分からない。夢じゃないのか。じゃあこれは何だ。この素っ頓狂な体は何だ。 「楽しそうじゃねえか。その体」 私の驚いた顔を見てよくそんな事が言えるね。 「楽しくないよ。だって、さわれもしないんだよ!」 エミは立ち上がりざまに怒る。 「触れないから楽しいんだろ。何でも出来そうだよなぁ……」 「何考えてるの! ハルが大変な目に会ってるのに!」 「だってよぉ、あっちのハルを見たろ? 俺はむしろ嬉しいね。元のハルが残っててくれて」 「それは……そうね。何があっても、ハルはハルよね」 置きざりかい。 「どうすっかな……」 エミの頭上に電球が一つきらめいたように見えた。 「ねえ、二人を会わせてみたらどうかしら」 「混乱するだろうよ。それよりも、医者か誰かに……」 気にしないで。夢ですから。夢のはずですから! 「そうだ、あの人の所へ行こう!」 エミは首をかしげながら訊ねる。 「あの人って、高村さんのこと?」 「ご名答!」 ……誰? 「じゃ、俺はカバン置いてくるよ。その後高村に訊きに行こうぜ!」 そう言って目の前にあった家へ入っていった。そうか。 「あの人、本里って言うんだ」 その言葉を聞いた途端に、エミは驚嘆すべき速さでこっちに首を向ける。 「え……?」 「妙に馴れ馴れしいけど。何? エミの彼氏?」 エミは無表情のまま顔を赤らめた後、若干怒るようにして言う。 「うそ! 嘘だって言って、ハル!」 「何が?」 「ケンジを知らないはず無いでしょ!?」 「ああ、下はケンジって言うんだ。名前で呼び合う仲なんだ……へぇ……」 「私は……知ってるのよね?」 「何言ってるの? エミはエミでしょう?」 「……ケンジの事、忘れちゃったの?」 「忘れるも何も、初対面でしょ」 だから、見知らぬ人に飛び蹴りを食ったときはものすごく驚いた。 「頭がとっても爽やかな人ね。エミ、悪いことは言わないからさっさと別れてしまいなさい」 「ハル……もしかして……」 エミの言葉を遮るかのように、玄関の戸が開く。 「さあ、行くか!」 「待って! ハルが……ハルが!」 「エミ、どうしたんだよ」 「記憶喪失なの!」 は? 「いいじゃねえか。そのうち高村が何とかしてくれるさ」 「良く無いよ! だって、ケンジのことも忘れてる!」 「そうか……だが、性格が変わっていないだけマシだと思わないか?」 「うん……そうだけど……」 「おいおい自己紹介するさ」 「冷静なんだね」 「あんな事があった後じゃなぁ……そりゃ冷静にもなるって」 PR
夢だから何でもできる。空を自由に飛んでみたり、家の壁をすり抜けて中に入ることもできる。もはや少しの不安もない。だって、夢なんだもの。
「なんであの時、俺の蹴りだけヒットしたんだろうな」 言わないで。言わないで! 「都合良く忘れようとしていたのに、なんでまたそんな事言うのよ」 ケンジとやらがとぼけて言った。 「忘れる? なんで」 「これが夢の中のはずだからよ!」 「ハル、夢じゃないよ。だってハルを見つけた時、私とケンジでお互いのホッペをつねってみたもん」 「めっちゃ強くつねるんだもんな。ちぎれるかと思ったぜ」 「夢よ。夢以外の何物でもない。そう、自室の布団の中でみている悪夢。他に何があるって言うのよ」 「いや、違うって。お前だって蹴り食らった時痛かったろ?」 痛かったさ。痛かったよ。身悶えるくらいに。 「いいえ。往々にして夢の中の登場人物はもっともらしい事を言うものよ」 「いつも冷静なお前らしくないじゃねえか。現実から目を逸らすなよ」 何故この人が私のいつもを知っているのか全く不可解で奇っ怪なのだが今は不問にしておく。 「なんで二人ともそんなに冷静なのよ! 幽霊みたいな私が突然現れて、逃げようともしなかったわけ!?」 「そりゃあ……アレだ。ほら、アレ」 「アレって何よ」 「エミ、頼んだ!」 「え!? え、えっとね、私たち、ついさっきまでハルと会っていたの」 「どういう事?」 「それはね、えーっと……あの後、二人で帰る途中に、ハルが道ばたで倒れているのを見つけたの」 「答えとしては不適なんじゃない?」 「とりあえず、聞いて」 その話がどう繋がると? ケンジとエミが代わる代わる説明していった。 「んで、さすがにウズラ30個はマズかったかなぁと思って、ハルを叩き起こそうとしたんだが」 「いくら呼んでも返事が無くって」 「俺が4の時固めを食らわしたのに、一向に返事がないモンだから」 その行為にいささか疑問が。 「すぐに救急車を呼んだの」 「初めてだったぜ。救急車に乗るなんてな」 「しばらくして、病院に着いたの。それで、いろいろ検査して……」 「ま、脈あったし。そんなにおおごとでも無いかなーとか思ってたんだが」 「おおごとだったの」 「おおごとだったな」 口をそろえて言うほど? 「待合室で雑誌を読みながらハルを待ってたんだけど……」 「突然『この変態! どこ触る気よ!』って声が聞こえてきてさ」 「ハルの声だ、ってすぐに分かったわ」 「でさ、その後出てきたハルがまた……な」 「うん。すごかったね」 勿体ぶってないでとっとと教えたらどうですか。 「診療室を飛び出したハルがこっちに走ってきて『ケンジ! エミ! ありがとねー、心配してきてくれたんだぁ!』って」 「数年来見ていない、とびっきりの笑顔で」 「……笑顔で」 笑顔で…… 「口調も違ったしなぁ」 「性格も違ったね……」 ……人違いだろう。 「俺は直感したよ。こいつ、ボケに転向しやがったなって」 違うだろ!! 「でも、ほんとに別人みたいだった」 「あの時の衝撃は……忘れようがないぜ」 「さばさばしてる、っていうか、垢抜けている、っていうか……」 「あれはあれで新鮮だったけどな」 ……それで? 「それで、私たちはハルを元に戻そうと……」 「ハルの前でいろんなボケをかました」 待て。何かが根本から間違っている。 「だけど……乗っかってくれなくて……」 エミもやったのか。 「あまりに居た堪れなくなってきてな」 「逃げるようにして帰ったの」 「んで、歩きながら、今後の漫才について井戸端会議に花を咲かせていると……」 漫才? 「私を見つけた、と」 「ご名答」 ……どこからが嘘だ? 「で、その後蹴った理由は?」 「それはね、もしハルなら……」 「もしハルなら、何が起こってもまずツッコミを入れにくるだろうからな」 それで飛び膝蹴りか。 「予想通りツッコミだった、と言うことで」 「正真正銘、本物のハルだ、って思ったの」 私が幽霊になっていることに疑問はないのか。 「まあ、ちょっと透けてるけど関係ないし」 大有りなんじゃないだろうか。しかも飛んでるし。 「いいじゃねえか。楽しそうだし、命に関わりそうなことでもないし」 それは……確かにそうだが。 「ほら、説明している間に着いちまったよ」 ケンジが指で示す方向を見ると、そこには割と大きな古めかしい一軒家が建っていた。 「ここ?」 表札には『高村』と書かれていた。 「本名だったんだ」 エミは感心しながら言った。どういう意味だ。 「実は俺も、中に入るのは初めてだったり……」 不安だ。
玄関で出迎えてくれたこの人は、若干の驚きとおののきを顔に浮かべながら言う。
「ハ、ハル君か。まさか研究所を朱に染めたりはしないだろうね?」 なんで怯えてるの? 「大丈夫です。ウィークポイントさえ刺激しなければ」 なに? 何の話? 「あれ……ハル、もしかして高村さん……覚えてないの?」 いくら記憶を探し漁りひっくり返ししようとも、常時白衣の人間は見当たらない。 「初対面だと記憶しているけど?」 「なに? 別人かね? 双子だったのか。気付かなんだ」 「あー……エミ! 説明してやってくれ。俺とハルはその間に打ち合わせすっから」 「えぇ! そんな!」 「ほら行くぞ、ハル」 ケンジは玄関を離れ、誰も通らない私道に歩みを進めた。仕方がないので私も付いてゆく。 「ハル、あの人はマッドサイエンティスト高村といってな……」 「なんでマッドなの?」 「そこはツッコまなくていい」 誰しも疑問に思う所だけど。 「あの人はとても優秀な科学者なんだ。きっとお前の謎も、科学的に解明してくれるだろう」 「透けるとか、触れないとか?」 「ああ、そうだ。んで、こっからが大事だよく聞け」 「いいからさっさと言いなさいよ」 「それはだな……何があっても高村さんに危害を加えない事。いいか?」 「いいも何も、私が何をするって言うのよ」 「何を言われても、何を食わされても、絶対に暴れるなよ」 「暴れるって何よ」 「いいから約束しろ。さ、はやく」 ケンジが何を恐れているのか、私には皆目見当が付かない。が、とりあえずこの辺は従っておいた方が良いのだろうな。 「よく分からないけど、とりあえず誓っておくわ」 「よし、これで万事OKだな!」 ほの暗い階段を抜け、案内された先は地下室だった。コンクリートで出来た灰色の壁に、薬品や実験器具や――なぜか刃物が並んだ棚、小さなテーブルが複数個。殺風景と言うほか無い。出来れば付き添いなども欲しかったのだが、あの二人はそそくさと帰ってしまった。薄情者。
翌日、日差しが弱く、割と涼しげな朝。
ここで冒頭に戻るわけ。
教室内の様子も見てやろうと窓から覗いてみたのがいけなかった。おかげで、やれ触らせろ、やれ飛んでみろ、やれ壁通過してみろなどとセクハラとも取れる命令があちこちから飛んできたので、キリの良い所で逃げたわけだ。 ぶらぶらするのも何だな……昼寝をいそしむことにするか。朝だけど。 そう思って青い空へ飛ぼうとしている時だった。 「先生! まさかそんな面倒臭い解法を使うんですか? 因数分解を教えてくださったでしょう!? 応用も出来ないんですか!」 チッ。言わなくてもいい事を。 「公式にはめなければ出来ないんですか!? 教科書に書いてある事をなぞっているだけでしょう! あなたはそれでも教師ですか!」 三年ほど前から常々胸中にあった言葉だ。言う必要もない。卒業するまで――後数ヶ月我慢していれば良かったのに。確かにあの教師はクズ教師。すぐに癇癪を起こすくせに、ろくな教え方をしない。が、だからといって火を付ける事もなかっただろうに。 「じゃあお前が教えてみろ。ほら、前に来て教鞭を執ってみるがいい」 全く陰湿な……だが、首を絞めるだけだったな。 数学は私の十八番。クソ教師の授業の後で友達によく教えていた。やはり黒板の前でも『私』はいい感じで熱弁をふるう。あーあ。これで…… 「昼休みに職員室へ来い」 宣告だよ。内申が落ちる…… 『私』は親の仇を見つけたかのように先生を睨み付ける。教壇の上では激しい視線の鍔迫り合いが繰り広げられている。これ以上怒らすな。止めておけ。 「何か気に障りましたか?」 教室の中では静寂が打ち寄せている。ひっそりとしたその声すら室内に響く。 「授業態度に響くぞ。いい加減に止めておきなさい」 それは同意だが。 「分かりました。先生」 皮肉っぽく言いのけた『私』だった。その顔はどこか誇らしげ。 私が一度やってみたかったことを見事に成し遂げてしまった。いつも計画倒れだった、あの行為。今までの私はそれを実行する勇気がなかったのだ。 彼女は、私だ。それでいて、私ではない。
太陽が朱に染まり始める放課後。
特にする事も無かったため、私は一人屋上で寝ていた。屋上は実質立ち入り禁止になっている上、どの窓からも見えないため、誰にも邪魔されずに有意義な睡眠を楽しむことが出来た。が、 「今何時……」 辺りに時計は無く、時刻を伝える物は夕日くらいしかない。真っ赤ではないから、きっと5、6時なのだろう。 「寝過ごした……」 私は一度寝たらなかなか起きないからな。目覚ましか何か無いと非常に困る。ともあれさっさと帰らなければ。ここに居たってどうしようもない。 私は閉まったままの扉を通過し、歩くことなく階段を下りる。やがて一階に着き、さて帰ろうかと愚直に玄関から出ようとしている時だった。 どこからか声がする。こんな時間に残っているとすれば部活の人か先生くらいなものなのだが、その声は確かに、教室から聞こえてきた。 普通なら気にもとめない些細な事だ。しかし、この間延びした声には聞き覚えがあった。間違いなく、あの人の声。 私は急いだ。第六感が警告のサイレンをけたたましく鳴らせているのだ。 「んで、わざわざ手紙で呼び出した理由は?」 三年五組、私達の教室。そこに彼らは居た。夕日を背に問いつめるケンジ。そして、その相手は―― 「えっと……その……伝えたい事があって……」 『私』だ。太陽のせいか、『私』がものすごく赤く見える。ただ、一番赤いのは顔であった。 「手紙でも言えないような用件なのか?」 さすがに……鈍感な私でも分かる。どうする。止めるべきか? 傍観すべきか? 「あ! ハル、探したんだよ!」 エミ……来ない方がいい。きっと後悔する。 「どうしたの? 教室には誰も……」 そう言いかけて、エミは口ごもる。私の隣で中の様子を見つめるエミ。扉の窓越しに『私』とケンジが見える。エミの目には、どう映っているのだろうか…… 「なあ、ここで言わなきゃいけない事なのか?」 私より鈍感だな…… 「……その……えっと……」 『私』はうつむき、下ばかり見ている。口を開き、喉の奥から声にならぬ声を小さく発し、やがてまた口を閉じる。口をぱくぱくさせて、まるで魚のようだ。それも、陸に揚げられて死にかけのやつ。 「どうしたんだよ。お前らしくもない」 そうだね。私はそんなに床のタイルが好きな訳じゃないもんね。 「私……私っ……」 悲痛な『私』の呻き。悲愴なエミの顔。どっちも、違った意味で見たくない。 「どうした? 腹でも痛いのか。保健室まで連れてってやろうか? 肩だけなら貸してやらない事も……」 ケンジは皮肉っぽく言った。しかし、それはすでに冗談にならない。『私』の次の言葉は……多分、きっと、恐らく…… 「ケンジ……付き合って」 思い出した。あの日の事、そして、ケンジの事を。あの日、私が何を思ったのか。あの日、私は何をしてしまったのか。全て思い出してしまった。 そして解ってしまった。今日、なぜ彼女がこの行為に至ったのかを。 熟れたトマトのように赤くなった『私』の顔を見つめ、ケンジはゆっくりと、躊躇うように言う。 「ごめん。俺……お前の事が好きだから……」 は? 「え? あ……そういう事……」 少し戸惑った後、『私』は唇を噛んだ。悔しそうな目をしている。だが、何かを恨んでいるような目でもあった。 「うぅっ……ケンジ……」 私の横で、静かに嗚咽を漏らすエミ。顔を隠すこともなく、ひたすら手の甲で涙を拭っていた。 ……どうやらケンジの発言を理解していないのは私だけのようだ。なんだというのだ一体! 言っていることが矛盾している! 「ゴメンな」 申し訳無さそうに言うケンジ。 「ううん、私こそ……変な事言っちゃってゴメンね」 『私』は模造品の笑顔をケンジに見せた。どこかぎこちなく、やはり無理をしているのだなとはっきり見て取れた。 「……じゃ、帰るよ。また明日な!」 ケンジはいつも通りの笑顔を見せて、鞄を手に教室を出ようとした。 「うん、また明日!」 出来るだけ普段通り。その思いが二人の笑いに込められていた。 「……ほら、行くよ。エミ」 一部始終見てました、なんて事が知れたら危険な事になる。一刻も早くこの場から立ち去らなければ。私はさめざめ泣くエミを説き伏せて、一旦隣のクラスに隠れた。 廊下に反響する二人の足音。私とエミはその音が消えるまで息を潜めた。 だんだん思考が落ち着いてきた。そして、ある事実が私の脳に響く。 ……玉砕してしまったのだ、『私』は。私よりも数倍行動力があって、私よりも数倍勇気がある、今までずっと目標としていた『私』ですら――理想の『私』ですら……駄目だったんだ。 「まあ、仕方ないよ。私は一度諦めたんだから……」 エミのために。横で泣いている、エミのために。
「だから私は嫌だったのよ! 気まずくなるくらいだったら言わない方がマシ。そう思わない!?」
「私に恋愛相談されてもな……三人も……頼りにしてくれるのは嬉しいのだが……」 「黙りなさい。寝床を借りるだけだと言ったでしょう」 「自分の家で寝たらどうだね」 「言わなかったかしら。失恋中の私の部屋で堂々と寝泊まりする勇気は無いって」 「エミ君の家はどうなんだ。あの気立ての良い子なら受け入れてくれるだろう」 「気を遣わせたくないのよ……」 「ケンジ君の家ならば……」 「ゴム手袋持ってない?」 「いや、すまない」 第一回グチ会を高村宅で開催する次第になった。私がここに押しかけた時、高村は一瞬凄まじい恐怖の色を浮かべたが、やがて私が泣いているのに気付くと、理由も聞かずに中へ入れてくれた。その後ヒステリックに暴れてしまうのも知らずに。 「私は躊躇っていたの! そんな博打、リスクが高すぎるから! だからエミに譲ったの! エミが駄目だったら挑戦しよう、って思ったから! 自分で自分が嫌になる!」 「そろそろ暇したいのだが……あっちの方とも打ち合わせをしなければ……」 「さっきから何、私の話が聞けないっての!?」 高村はとても迷惑そうな顔をしたが、さして気にも止めなかった。 「狡猾で臆病!! そんな自分が嫌になった! 嫌になったのよ!」 「ここは託児所じゃないし、恋愛相談室でもないのだが……」 「黙って聴いてろ!」 いよいよ高村は引き始めたが、気にしない事にする。 「汚い私……堪らなく嫌だった。そう、だからあの日、私は言った」 「 」 小さく呟いたその言葉は、耳に届く前にインターホンによって打ち消された。 「む、客だな」 地獄で仏と言わんばかりに駆けだしてゆく高村。ドスドスと廊下を走り、やがてドアが開く音がした。 「おや……どうしたんだい?」 誰かと話しているようだ。 「ふむ、なるほど。では、こちらに来たまえ」 誰かを招待しているようだ。 「あれが欲しいのか。いや、あれは私のコレクションだからな……貸すだけだ。それでもいいならば」 何かを渡すらしい。 「ほら、よく切れるから取り扱いには重々気を付けてくれたまえよ」 何か刃物を渡したらしい。そういえば、なぜか棚に刃物が並んでいたな。 「インテリアとしてはなかなか優れているのだがな、いざ使おうとすると勇気が要るのだよ……ん? 試し切りかね。まあそうだろうな。切れるかどうか、誰しも最初は疑うものだ。野菜か何かがいいだろうな」 何かをまさぐる音が聞こえる。 「やはり人参などが良いだろうね。まさに定番……」 ドサッ。何か、大きな物が倒れた音がした。 「な……! や、やめ……」 高村が呻いている。何が起こっているんだ。私は急ぎ高村の元へ移動する。刃物、倒れた音。その二つを結びつけたくない。願わくば、予想と外れていますように。 地下の研究室。冷蔵庫が開け放されていて、その下には赤い染みが出来た白衣。 「高村!」 返事が無い。一刻を争う。 「こんばんは」 丁寧に挨拶をするこの人。血塗られた凶刃を手に、狂気の笑顔を私と同じ顔に含ませながら。 「私は幸運ね。ここであなたに会えるなんて」 アレは『私』か? 私はそんな顔しない。少なくとも、私は。 「なんで高村を? 答えなさい!」 「ガラスなら触れるのよね? ということは、ガラスの刃物ならあなたを切り裂けるという事」 聞いちゃいない。しかし、『私』の言わんとしていることには察しが付いた。 「私を……殺しに来たの?」 「あら、正解。思い出したのかしら? あの日私達が言った事」 「ええ、思い出したわよ」 あの日、あの時、雨に打たれながら願った事。 「あなたの口から聞きたいわね」 そうだろうな。言いたくないが、私が言うべきだ。
「その通り。だから……はい!」 暑い。蒸し暑い。ここはどこだろう。真っ暗だ。ああ、当然だ。目をつぶっているのだからな。だが、暗いのもまた良い。うん、このまま永遠に瞑っていよう。目なんか覚まさなくてもいいや。 「なんでお前を殺そうとしたんだ? あっちのハルは」 『それは……秘密』 |
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