翌日、日差しが弱く、割と涼しげな朝。
「なんでここに来たわけ?」
玄関で立ちつくしているケンジとエミに尋ねる。
「朝に弱いから毎朝迎えに来て欲しいと言ったのはお前だろ! 忘れたとは言わせねぇ!」
……忘れた。
「落ち着いて、ケンジ。ハルは記憶喪失なんだから。その辺の事も考えてあげないと……」
エミの言葉を遮り、玄関の戸が開く。中から登場するは……
「おはよう! いつもお迎えありがとね!」
『私』だった。ぼさぼさだった髪にはヘアピンがいくつか刺さっている。他の女子と同じように、ワイシャツの上にカーディガン、そしてやや短めのスカート。仰天だよ。
「うぁ……」
ケンジも思わず呻く。
「さあ、行きましょ!」
やたらとテンションが上がってしまった『私』を先頭に、だらだらと歩き始める二人。
「私は家に居るわ。先生がこの姿に疑問を持たないはずは無いしね」
私は二人に手を振った。しかし三人分返ってきた。
「そ、そうか。じゃあな……」
「じゃあね……ハル……」
「暇になったら学校に来なよ。楽しそうだしさ!」
アレは本当に私なのか? 手を千切れんばかりに振っている、あの人が。目一杯にオシャレをしている、あの人が。
しばらく手を振り続け、やがて三人が見えなくなっていった。
「さて、私もそろそろ行こうかしらね」
あんな訳の分からない人を私の代理として登校させるわけにもいかず、私が三年間で築いた学級内でのイメージを崩されるわけにもいかない。『私』の奇行を観察するため、尾行をしてあの人を見張らなければならない。これ幸いと尾行に適した体になっているため、容易に事が運ぶだろう。
外出するのは気が引けるけど。
「昨日は大変だったねぇ」
『私』の言葉は大変そうに聞こえないのだが。笑って言うからだ。エミが同調する。
「雨がひどかったもんね」
そっちかい。
ケンジはケラケラと笑いながら言った。
「みぞおちに傘をぶつけてきたもんな」
そんな酷い事を? って、私か。覚えちゃいない。
『私』は頭をかきながら言う。
「あれは仕方なかったんだよ。だって、ケンジが三人で入りたいなんて言うから」
幽霊的な話題は出ないんだな。
「それでみぞおちか。納得」
納得しちゃった!?
「でさ、あの後、相合い傘したの?」
『私』は興味津々といった声でにケンジとエミに訊ねた。少し悲しそうな顔をしている。トーンは変わらないが。
「いや、俺は鞄を傘代わりにした」
「私だけ使っちゃって……ケンジも……入ればよかったのに……」
エミはややどもり気味になって、ケンジを見た。
「そっか。じゃあ、後で傘返してね」
声のトーンが高くなった。嬉しそうなソプラノ。
それにしても、彼女の行動は目に余るものがある。鞄をぐるぐるとぶん回し、まるで小学生のようだ。かつて私であった片鱗などはもはやほとんど無い。
かく言う私は、彼女らの上空から見守っていたりする。意外にも見つかる事が無い。灯台もと暗しと言った所か。
「ハル、体の方は大丈夫なの? 道端で倒れちゃってたけど」
「うん。なんか雷に当たったらしいけど、全然平気だった」
雷に当たって平気な奴がどこに居る。
「かみなりぃ? 当たったら死んじゃうんじゃねえの? 普通」
だから死んじゃってこんな姿に? ……いやいや、それにしたってあり得ない。
「死ななかったのよー。ヤブ医者から『奇跡だ!』って言われた」
私が飛んでいる事こそミラクルだと思うが。
エミはボーっと空を見つめた後、なにかを閃いて言った。
「ウズラのおかげだね!」
エミ、ウズラと言うのはね、百害有って一利無しなんだよ。あのぐにょぐにょとした食感は内臓の類を彷彿とさせるしね。
「そうだね。ウズラのおかげ」
「お! 好みが変わったのか?」
「二人のおかげでウズラが好きになっちゃったんだ」
あの物体が好きになってしまったと? どれほどの拷問を受けたらそんなになるんだ?
「じゃあ、今日は家でウズラパーティーしよう!」
訳のわからん事を言わないでくれ、エミ!
「お、いいね」
ケンジも同調するな!
「あっちの『私』も呼んじゃおう!」
変な提案を……まったく。
それにしても、なんだかこの会話に違和感がある。何だろうな……話が若干噛み合っていない事だろうか……それもあるが……いや、しかし……何かが、何かがこの会話に足りないような……
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