太陽なんて消えてしまえ。そんな悠長なことを考えていた、極暑の朝。
灼熱の光線は灰色のコンクリートを用い、天と地から私たちを焦がす。蒸すような熱気が精神と身体を蝕んでゆく。
「暑ぃ……エミ、なんとかならないか?」
「そ、そう言われても」
「ハル、なんとかしろ!」
「この状況を打破できるのならとっくの昔に、しかも率先してやっているでしょうね」
「だぁ~ちくしょう! 暑い、暑い、暑い!」
いつもの通学路。地平線には逃げ水。草木も歪む蜃気楼。……学校に行きたくない。
「なあ、やりきれなくなっているのは俺だけか?」
元気だけが取柄のケンジですら今のように根を上げている。刺々しい頭から一筋も二筋も流れてくる汗。おかげで見苦し……おっと、暑苦しい顔になっている。さすがの馬鹿でもブレザーを着て来る事は自殺行為だと思ったようで、素直にワイシャツを着ている。が、すでに汗だく。
「私も……ちょっと限界かも」
エミは他の女子と同じように、ワイシャツの上にカーディガンを着るという自殺的な行為に至っている。私からすれば信じられないの一言に尽きるのだが、我がクラスの徹底した画一主義を考慮して、やむなく認めることにする。酷暑の中でも揺らぎを見せないその笑顔には、爽やかな汗が滴っていた。涼やかなスカートが歩くたび蝶のように舞う。美少女は何をしても美しい。ああ、軽い嫉妬。
「悔しいけど同感ね。この猛暑は流石に耐え難いわ」
私はなかなか勇気のある服装をしている。ワイシャツと下ジャージの組み合わせはそうそうマネできるものではない。ってか、すでに女子の風体ではない。額には汗。何度拭おうがいくらでも湧き出てくる。鬱陶しい。
「それにしてもその髪、暑苦しいな。切ってしまえよ」
寝癖も直していないぼっさぼさの髪だ。が、つんつんした頭で言われるとなんだか癪だ。
「アンタだって結構暑苦しいわよ? 鏡を貸してあげようか?」
エミがやや困った顔をしながら割って入る。
「喧嘩しないで。ほら、急がないと学校に遅れちゃう」
「まだまだ遅刻するには早すぎる時間だぜ。むしろ暇なくらいだ……」
と言いかけて、ケンジは足を止める。
「紹介? ……分かった」
電波か何かを受信したらしい。
「暇だし、あの人を紹介するよ」
また何か言い出した。突拍子も無い彼の発言にはいつも頭を悩ませられる。下手をすると間違った方向へ話がぶっ飛んでゆくので、所々に適度なツッコミを入れてやらなければならない。
「あの人って誰」
自信有り気にケンジは言う。
「ほら、最近近所に越して来た、自称マッドサイエンティスト高村さ」
「自称なの?」
「自称だが、他称でもある」
「で、マッドなの?」
「マッドの中のマッド。あの人の技術は凄いぜ!」
「なんでその人を紹介しようなんてトチ狂った発想が出てきたの?」
「ハル、とち狂ったは言いすぎだよ」
「それはな……俺にも説明してくれ! マッドサイエンティスト高村!」
私とエミはとっさに反応する。
「やっぱ狂った?」「誰に言ったの?」
ケンジは困ったように返答した。
「いや……さっきから声が聞こえて来るんだよ。『暇ならば、自己紹介も兼ねて二人の御目に掛かりたいのだが。どうかね、ケンジ君』って」
なるほど不可思議な現象にエミも、
「ケンジだけに聞こえるの? ……幻聴じゃないかしら」
私も、
「おめでとう。ついに電波を受信できるようになったのね。……これからはあまり近寄らないようにしてね」
まず疑ってかかる。ケンジは頭を掻きむしりながら叫んだ。
「だぁ~違う! 高村ぁ! 変人扱いされたじゃないかよ!」
落ち着け。
「大丈夫。あなたは元から変人よ。拍車が掛かっただけ」
「元からはちょっと酷いよ、ハル」
「高村! そろそろ助けてくれよ。限界だ!」
数秒のタイムラグの後、どこからか突然声がする。
「面白そうだったからな。しばし観察していたのだが……いやはや。迷惑をかけてしまったね」
近くで声が聞こえたような気がした。後ろからか。いや、右からだ。ふと目を右にやってみると、そこには汚い電柱と若干黒ずんだ水色のゴミバケツしかなかった。気のせいかと思い、後ろを見てみるが、人っ子一人居ない。
「高村……そろそろ茶番はやめてくれよ」
「む、そうかね。では、馳せ参じよう」
ガタン!
右から音。振り向くと、ゴミバケツに下半身を埋めた男が一人。バケツの蓋を帽子代わりに、立ったままそこに居る。
「初めまして。高村と呼んでくれたまえ」
茶、黄、赤の染みが点在する小汚い白衣を着たその人は、不動のまま私達と会話を続ける。ゴミ箱の中身を覗いてみたい欲求に駆られた。
「えーっと、こっちがエミ」
ケンジはエミを指す。エミはこくんと首を曲げた。
「そっちのまな板がハル」
!
「それはどういう意味で言った?」
「身体的な特徴を一言で表そうと思って」
!!
「ああ、私は今、暴行に及ぼうとしているよ」
「早まらないで、ハル。ケンジだって悪気があったわけじゃ……」
そんなわけは無い。
「悪気の塊だったでしょう?」
薄ら笑いのケンジは言った。
「ま、中3でソレじゃなぁ。気にするのも仕方ないさ」
何かが切れた。堪忍袋の尾だろうな。
「ケンジも煽るような事言わないで!」
エミが止めに入るが、時すでに遅し。鬼神光臨。
「さ、ここからはスプラッターになるよ。気を付けてね?」
「待て、待ちたまえ! もう少し思慮深くだな……」
「生きて帰りたかったら黙っていなさい」
「謝る! 謝るから殴らないでくれ!」
「フフフ……私だけでなく世界に数多居る中学3年生を愚弄した罪は重いわよ……」
「ハル! その笑い方は怖いからやめて!」
「悪かった! すまなかった!」
「さあ、あの世で悔いると良いわ!」
「お願いだからその笑いを止めて!」
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